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個人差と学習効果:英会話教育の基礎(9)

前回は、「操作」という発達の理論に基づいて、教育効果の限界を話した。このことは英語の指導においても同様なんだな。文の決まりを理解するには、やはり形式的操作期に入っていないとだめなんだ。文法を意識的に用い、現実の多様な英文をその構造に従って取り扱う能力は、形式的操作期でないとダメなのではないかと思う。

(ここ、知的発達に詳しい方、関心のある方以外は読み飛ばして下さい)   ずいぶん昔になるけれど、数の操作と文法的な発達についての研究をしたことがある。具体的操作期と能動態・受動態の理解(「叩く」、「叩かれる」)の関係だ。で、その結果も明瞭なものだった。具体的操作期に入っていない子の場合は、受動態の理解が十分でなかったんだ。操作の発達が文の理解に影響を及ぼすのだ。

(もっとも、その学会発表の時、関西の超有名大学の先生に「そんなことは当たり前だ」と批判された。まだ、大学院の学生だった筆者は、相手が大物だけに、「どうして、当たり前と言い切れるのですか。その根拠となる理論、実験があるのですか」と反論できなかった...「当たり前だ」と言う言い方は「そんなの常識」と言うのと同じで、まったく学問的ではない)

ま、それは良いとしましょう。理屈っぽいのは、あまり読んでいておもしろくないから。(それに、恨みがましいしね (^-^;

とにかく、記号を使って考えること、構造を形式的に理解することなどは、形式的操作期の子どもでないとできない。つまり中学生だね。だから、小学生の頭で中学校に入った子は苦労するわけだ。中学では、記号を使って、一般的な形式(文法や公式など)を中心に据えて学習を進めるから、具体的操作期の頭のまま中学校に進んだ子はかわいそうだ。 基本的に理解できないのだから。

では、形式的操作期に入った子は、中学校で学ぶ内容をすいすいと分かるか...というと、必ずしもそうではないのだ。今度は「応用力」という壁が立ちはだかる。

英語の例で具体的に考えてみよう。

Be 動詞というグループがある。 原型が be で、現在形が is, am, are になる。この動詞を使った文の疑問文と否定文は次のようになる。

平叙文 He is a teacher.  疑問文 Is he a teacher?  否定文 He is not a teacher.

この文のパターンを覚えた子どもは、She is a student. とか Tom is a boy. と言った文の形は理解できるし、疑問文、否定文の作り方もこなす。しかし、

Your mother is a doctor. の疑問文を作らせる。

ここで、混乱する子どもたちが出る。You の時は are だけど、ここで is が出てくる。「え、Your だから are じゃないの?」と「混乱」してしまうのだ。 your mother が she と同じだと説明しても何となく分からないのだ。 だから、Is your mother a doctor とやらずに、Are your mother a doctor? とやったりする。

このように、たとえ形式的操作期に入ったとしても、一つのパターンの変形を良く理解したとしても、少し違う形になるともう先の形式を適用できなくなる。

知識を身につけたときに、それがどれくらいの範囲まで適用できるか...この点については、「形式陶冶」問題として過去に世界中で議論された時期があった。その最終的な結論は覚えていないが、概ね、「形式陶冶は存在するが、その範囲は極めて狭い」という辺りに落ち着いたように思う。

何だかごちゃごちゃ言ったけれど、と言うか説明が悪かったのだけれど、要するに、一つの問題についてあるパターンを理解できても、その応用範囲は通常あまり広くないということだ。

このことは、認知心理学の分野で「領域固有性」の問題として取り上げられている。

今回はちょっと説明が悪いね。とりあえず、まとめておこう。

塾や学校で学ぶ内容は、たとえ良く理解されたとしても、それが適用できる範囲は極めて狭いことが多い。 子どもたちは、そのパターンを習った問題と類似した特定の領域にしか応用できない。これが領域固有性という問題。応用力の問題と言っても良いかな。

ここにも学習塾などの指導の限界があるのだ。 そのことは、私が塾をやっている時に骨の髄まで思い知らされた。

一つのパターンを理解すると、かなり広い範囲まで応用できる子どももいた。いわゆる「頭の良い子」 昔の言葉で言えば「一を聞いて十を知る」子だ。つまり、個人の持つ能力が高いわけだ。反対に、「一を聞いて、その一しか分からない」という子もいた。勉強の苦手な子に多い。

つまり、「領域固有性」という事実はあるのだけど、その領域の枠内・枠外への適用する知的能力に個人差があるのだ。ここが、塾などでの指導の限界ということ。この個人差を乗り越える指導ができないんだ。この個人差は、後で述べるけれど、生物学的特性に基づくものだから...

オンライン英会話スクールでも、講師にこの問題が生じる。同じようにASET方式の指導研修をしても、すぐに飲み込んでうまくなる講師もいれば、長い間研修しないとうまくならない講師がいるんだね。ASETスクールでは、筆者が、各講師のレッスンを時々モニタし、必要に応じて常時指導している。それでも...だ。なかなかうまくならない先生がいる反面、自分でうまくなる先生もいる。これは、他のスクールでも同じで、研修なんかほとんどしないオンライン英会話スクールでも、とても教え方のうまい先生はいるのだ。

ただ、せっかくASET Schoolを選んで受講していただいているんだから、良いレッスンを提供しないといけないと、研修はがんばっているけれど。

次回から、この能力の個人差について述べる。だんだん理屈っぽくなるけれど、一番進んだ教育理論だと(おーおー、エラソーに (^-^; ぜひ、読んでいただければうれしいです。

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