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日本人の特性と英語教育、敵性言語から受験英語まで

いろいろな国の人と付き合っていると、日本人の特性について思うことが多々ある。

挙げていくときりがないので、英語に関わる特性を述べる。

几帳面:細かいことまできちんとやらないと気が済まない。

外国人は概して大ざっぱである。ヨーロッパで電車に乗ると、日本の電車との違いにいろいろと考えさせられる。

・発車のベルが鳴らない。いきなり戸が閉まって走り出す。

・社内でのアナウンスがない。

・電車、バスなども時間が日本ほど正確ではない。

などなどである。もっともこれらは、私が居た10年前の話であるから、現在は変わってきているかも知れない。間違っていたらお許し願いたい。

さて、一方、日本の電車はどうか。これがまた親切・丁寧・至れり尽くせりである。出発前にチャイムがなる。続いて、「発車します。駆け込み乗車はおやめ下さい」、「ドアが閉まります。無理なご乗車はおやめ下さい」、さらに、走り出してから「駆け込み乗車は危険ですので...」 と続いて、途切れることなく次の停車駅、乗り換え案内、社内マナーについての「講義」、あ-、うるさい...と考えるのは筆者だけだろうか。 ともあれ、ものすごい数の人間を輸送しながらほとんど混乱なくコミューターが会社に行けるのは、ま、この丁寧至極・几帳面さのたまものであることは確かだ。

さて、英語の話。

この几帳面さは英語の学習にも現れている。日本人は、「英語文法」に極めて関心が高い。戦前から、「英語文法」の本は出版されており、それを熱心に学習する人々は多かったのである。ま、外国人と接する機会なんかほとんどないのだから、言葉の構造とかシステムと言った形でしか学べなかったのだからしょうがないであろう。

さて、戦中。

英語は「敵性言語」でなった。つまり、敵の使う卑しい言葉である。よって英語を使うなと言うことで、戦前から文化と共に侵入してきた英語を日本語で置き換える運動が始まる。野球で「ストライク」を「よし」、「ボール」を「だめ」、「アウト」を「ひけ」などと言い換えたのはその例である。もちろん、日本語にできないものはそのまま使った。

で、戦後。

日本はアメリカを代表とする連合軍に支配された。

実は、このときが実用英語普及には最も良い機会であっただろう。アメリカ兵があちこちに駐屯していて、接する機会は多かったのであるから。もし、当時オンライン英会話スクールでもあれば、たちまち日本人は英語が話せるようになっただろう。ま、それは夢物語。いずれにせよ、英語を話せることが実際生活で役立つとなれば、勉強したい人は多かっただろうし、普及も早かっただろう。

多少その動きはあったと思われるが...詳しくは知らない。ともあれ、英語教育はさほど効果を上げない内にアメリカ文化が盛んに日本に輸入された。それは音を日本語で表記するという形をとって輸入された。「ケーキ」だの「チョコレート」だの、あこがれのアメリカ文化が日本人のなじみやすいカタカナ表現で輸入されたのだ。現在の日本では、このようなカタカナ英語を使わないでは日常会話をすることでさえ困難である。 今日1日、一言もカタカナ英語を使わずに過ごすことができるかどうか試して見ればすぐに分かる。

しかし、しかし、結局日本人は「コミュニケーション」の道具として英語をマスターする方向には進まなかった。次回、現代に至る英語教育について述べることにしよう。

なお、現在オンライン英会話が隆盛を極めているのは、このような戦後の英語教育の転換点を示しているものであろう。ASET 英会話スクールは、それにできるだけ貢献したいと願っている。

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