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文章理解中心の英語授業になる理由:日本の入学試験事情

中学校や高等学校の英語の授業が文章理解中心になる理由として、前の回では「英語環境」の欠如ということを見てきた。

それにさらに追い打ちをかけるのが日本の入学試験の状況だ。

日本の高等学校、大学では入学時に試験を行う。ま、これ自体は先進国、途上国問わず行われているので、英会話とは関係が無い。しかし、日本の入学試験は、試験当日の点数のみで選抜する上に、学校のランクが偏差値できれいに分けられているために、受験生は点数に血眼になる(フム、この表現、古くない? ^ ^; ) 

これだけなら、フィリピンやケニアなど、英語公用語の国でも同じだ。それらの国で受験がどのように行われているのか詳しくは知らないが、おそらくは日本と同じようなペーパーテスト中心だろう。

しかし、日本の場合、極めて特色的なのは、点を取ることに対して異常なくらい執着することだ。昼間学校で勉強した上に、夜は塾に行って勉強する。

話は変わるが、この塾なるものは、かっては日本独自のものだった。筆者は、30年ほど前にある国際学会で塾について発表したことがある。その後の質疑応答で、30ほどあった質問の内、半分が筆者の発表に関するものであった。それもほとんどは欧米人だった。その質問は「なぜ、学校でやっていることを、また、夜、学校のようなところに通って勉強するのか」と言うもので、「日本の学校の勉強はそれほど不完全なのか」とか「何か特別な事を教えるのか」...いや、納得してもらうのに困った。それほど、「塾」というのは世界的には珍しいものなのだ。

最近では、韓国でも大手の塾が大繁盛しているし、中国でも裕福な家庭は家庭教師を何人も雇うという話を聞いた。日本、韓国、中国は、「科挙」という中国の官吏登用試験の影響を受けた国だから、試験に対する意識は似ているのだろう。

ともあれ、日本人、特に中学生や高校生は熱心に英語を勉強するのだけれど、それは試験対策であり、「読解」、言い換えれば、できるだけ「正確に」英語の意味を理解することが中心なのだ。

こういった勉強をしてきた日本人の中学生や高校生は、易しい問題ならばスラスラと解いてしまう。しかし、試験をする側はそれでは困る。入学試験は選抜なのだから、何としても点数に差をつけなければならない。そこで、問題を難しくする。すると、受験生はそれが解けるようにがんばって勉強する。すると試験をする側はさらに難しくする。すると、受験生は...

こうやって、試験は止めども無く難しくなっていく。

いや、試験が難しいのはやむを得ないのだが、それが、「英語を正確に理解する」ことを要求することだ。早い話が、たくさんの文の読解(大体の意味が合っていれば良いとして)を主にすれば、細かい文法にこだわる試験はなくなるであろう。「精密に、確実に訳させる」試験、如何に英語を性格に理解しているか試すことに問題があるのだ。

ま、これは、明治時代に日本が外国の文化を導入するに当たって「書物」を通して導入するしかなく、「いかに正確に訳すか」が重要であったという事情もある。

ともあれ、こういった事情から中学校や高等学校の勉強は、「正確に英語を理解し、訳すこと」が中心になり、その基礎として「英語文法」をきっちり教えることに力が注がれることになったのだ。

こんな受験事情も絡んでいるから、日本では「英会話」の勉強には力が注がれない。困ったもんだ。

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