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なんで理解が中心の授業になるか:環境の問題

日本の中学校や高等学校の英語教育が理解中心にならざるを得ない理由がある。

まず、日本では英語と触れる、あるいは英会話をしなければならない環境がない。具体的に考えてみよう。

日本の街を歩いて注意して見ればすぐに分かるが、「英語の表示」がほとんど無いのである。いや、無いことはないのだ。”SONY” だの “Shinjuku” などの広告や道路表示、電車の駅名表示などは英語であるが、すべてよく知っている言葉の英語表記になっているだけだ。

この辺りフィリピンと比べればすぐに分かる。フィリピンでは道路標示など以外に、店の名前、店でのメニュー、請求書、さまざまな注意書きなど、ほとんど英語で書いてある。そらそうだ。英語が「公用語」なのだから。 ともあれ、生活のいたるところに英語が顔を出す。

日本ではそうではない。環境に英語がほとんどないのだ。ま、これは、英語が公用語ではない国ではどこでも英語表記は少ない。これでは、英語を学ぼうという気にはならない。

次に、周りに英語を話す人がいない。これは、英会話教育においては致命傷に近い。英会話を勉強しようとするインセンティブ(やる気を引き起こす)が働かないのだから。

この点もフィリピンやヨーロッパなどと比べれば分かる。これらの国では、日常生活の中で英語を話す外国人と接することがとても多い。当然、話をしなければならないために英会話に慣れるし、学校でも英会話学習に対して積極的になる。

そして、致命傷に追い打ちをかける(致命傷がすでに絶望的なのだけれど...) のが、学校の先生が英語が話せないことだ。これは、ま、最大の問題と言っても良いかもしれない。

フィリピンやヨーロッパでは、学校の先生はほとんど英語で話すことができる。英語の授業も導入しやすい。実際、筆者がフランスやスイス、フィリピンの学校を見学したとき見たが、「英語の授業」は英語担当の先生が英語で授業していた。考えてみれば当たり前のことのように思えるけれど、日本では、英語担当の教員といえども、「日本語」で「英語」を指導している。う~ん。

さらに言えば、大学で英語だけで授業をしている学校・科目はどれくらいあるだろうか。筆者の知っている大学生(超のつく有名大学・学力の高い大学の大学生)に聞いたところでは、彼らの学校でも「英語だけ」の授業はほとんどないそうだ。大学生でこうなのだから、中学校などで「全部英語での授業」なんて皆無に近い。(極めて少ないのだけれど、やっているところもあるらしい)

これくらい環境が欠如すれば...英語や英会話なんかには学習意欲が湧かないだろう。特に、英会話なぞ、中学、高校、大学の入試にも出ないのだから、「面白そうだけれど、わざわざ勉強する必要は無い」ということになる。。

そんな訳で、「国際交流に必要だから」と取り入れられている英語だけれど、結局、教科書の英語を学習するだけで終わってしまう。

中学校の英語の授業が教科書中心の理解・暗記中心の授業になってしまうのも...ま、無理のない話なのだ。

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